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高血圧患者のインターネット調査

通院良好群でもSBP 140mmHg以上が 4 割以上
〜高血圧患者のインターネット調査〜
 
サイレントキラーと言われる高血圧症などの生活習慣病は,自覚症状を伴わない場合
が多いため,通院や服薬に対する患者の意識が低いと自己判断で治療を中断する恐れ
がある。
ファイザー(株)は,インターネットで高血圧患者の治療に対する意識調査を実施した。
その結果を,獨協医科大学循環器内科の松岡博昭教授が,東京都で開かれたプレス
セミナー「高血圧症治療の通院・服薬コンプライアンスに関する調査報告」(主催=ファイ
ザー(株))のなかで報告し,通院コンプライアンスが良好な患者においても約半数が
目標血圧値を達成していない現状を明らかにした。
さらに,日本高血圧協会の荒川規矩男会長は,今回の結果を受け,高血圧に対する
社会的な取り組みの重要性を強調した。


自覚症状なしでは未通院の傾向に 
今回の調査対象は,高血圧の通院経験があり,治療開始から 5 年以上経過した40歳
以上の一般市民。
インターネット上でアンケートを配信し,実回収は2,106例であった。このうちスクリー
ニング漏れがあった196例を除外し,1,910例(男性1,547例,女性363例)について
集計した。

まず,通院コンプライアンスについて,治療開始時点から現在まで「完全に医師の指示
通りに通院」,「数日遅れる程度で通院」が当てはまる場合に通院コンプライアンス良好
とし,「 7 〜 8 割は指示通りに通院」,または「それ以下の通院」が当てはまる場合を
不良とした。
この結果,良好が全体の67.8%,不良が32.2%であった。

高血圧に対する意識については,全体の約 9 割が将来,脳卒中の発症リスクが高まる
と認知していたほか,最適な収縮期血圧(SBP)についても,全体の約 9 割が140mm
Hg以下と回答した。
高血圧を意識したきっかけは,両群ともに約60%が健康診断と回答。高血圧を意識して
からすぐに通院を開始した割合は良好群の62.3%に対して不良群は45.3%であった。

また,自覚症状の有無別に通院をすぐに開始した割合を見たところ,自覚症状があった
場合は80.6%であったが,自覚症状以外がきっかけで高血圧を意識した場合は55.5%
にとどまっており,自覚症状がない場合の約半数は通院につながっていなかったことが
明らかになった。
松岡教授は「高血圧はサイレントキラーと言われ,通常は自覚症状がない。
そのような場合に通院につながらない状況は問題である」と指摘した。

血圧コントロール不良で自己判断による服薬中止例が多い 
日常生活に関連する項目としては,家庭血圧計の所有率が全体の約 8 割にのぼって
いたものの,定期的に測定している割合は通院コンプライアンス良好群でも半分以下
であった。
健康維持,高血圧対策のために「できるだけ歩く」,「塩分摂取に気を付ける」と回答した
割合も通院良好群でも約半数にとどまり,年代別に見ると,40歳代でこれらを実行して
いる割合が他の年代と比べて低く,若年層の意識が低かった。

服薬状況については,良好群では82.1%が「ほぼすべてを服薬していた」と回答したが,
不良群では44.3%にすぎず,松岡教授は「通院状況がよくない場合に服薬状況も適切
でなくなることは十分に考えられる」と指摘した。
また,服薬しなかった理由として,「忘れてしまった」という回答が全体的に多かったが,
不良群では「高血圧に伴う症状がなくなった」を挙げる割合が高かった。これを裏づける
ように,不良群ではSBP 140mmHg以上でも服薬量を減量してよいと答える者が 3 割
を占めた。

現在SBP 140mmHg以上である割合は,不良群では66.0%,良好群でも44.2%を
占めていた。
SBP 140mmHg以上で通院をやめた患者のうち「自分自身の判断で通院を中止した」
と答えた割合は63.1%にのぼっていた。

なお,全体で見ても約 2 割が途中で通院を中止しており,このうち自己判断による中止
が約半数を占めていた。
通院中止群全体の通院期間は 1 年未満と 2 年未満とする回答が多く,併せて50%
前後であった。

同教授は「通院が 2 年以上継続すればコンプライアンスの維持が図れるのではないか」
と指摘。
「今後,治療による自覚症状の消失や血圧値の低下により,患者が自己判断で治療を
中止しないように厳格な降圧の意義を啓発していくことが重要」と述べた。

世界的に血圧管理は厳格化 
荒川会長は今回の調査について「インターネットを使用できる知的レベルが高い患者群
が対象であるにもかかわらず,治療を行っても半数近くがいまだに高血圧と診断される
状況」と評した。
そのうえで,外来治療中の高血圧患者を対象としたJ-HOME研究でも,6 割弱の患者
でSBP 140mmHg以上であったことを補足した。
一方,世界的に各ガイドラインの血圧基準値が厳格化するなか,米国合同委員会の
第 7 次報告(JNC-7)ではSBP 140mmHg未満でも高血圧前症と定義し,正常血圧
をSBP 120 mmHg未満に設定している。
同会長は降圧治療に携わる医師はこのような動きを踏まえ,厳格な降圧を実施していく
べきとした。

現在,日本高血圧協会では,一般市民に対して市民フォーラムを中心とした啓発活動
を推進しており,5 月17日の「世界高血圧の日」には日本でも啓発イベントを開催して
いる。
しかし,社会的な取り組みはまだ不十分であり,商品の塩分表示も行われていない
のが現状である。
同会長は「病院や学校の給食などでも減塩目標値( 6 g/日以下)への取り組みが
遅れている点を認識し,今後,実態調査や教育に取り組んでいく意向である」と述べた。

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<自遊時間>
昨日、所属医師会会長名でこんな葉書が届きました。

特定健診・特定保健指導に関する説明会中止の
お知らせについて
 早春の候、先生には益々ご清祥のこととお慶び
申し上げます。
 さて、特定健診・特定保健指導の円滑な実施に
向け先般、標記説明会を3月○日(日)、○日
(土)に開催する旨ご案内させていただいたとこ
ろですが、未だ厚生労働省も内容について不透明
な部分も多々あり
、現時点で先生方に十分な内容
を提示することができず誤解を招く恐れがあり
ますので、大変ご迷惑をお掛けし誠に申し訳ござ
いませんが、今回の説明会を中止させていただく
こととなりました。
 つきましては、明確な内容がわかり次第再度
開催のご案内をいたしますので、その節は、よ
ろしくお願い申し上げます。

厚生労働省のドタバタぶりが伝わってきます。

内科開業医のお勉強日記
http://intmed.exblog.jp/i12/
では○○役人というカテゴリがありますが、
私にはそこまでの表現はできません。
(気持ちは同じです)

<自遊時間>
日頃、日本医事新報のエッセイを読むたびに、ドクターには文系の才能を兼ね備えた方がみえることに感心しています。
ちょっと古い週刊誌の記事で申し訳ありません。
文系と理系の話題が目にとまりましたので紹介させていただきます。

人間関係を通じて文系と理系が補い合えば、互いにプラスになり、対話が楽しいに違いないと思います。
夏目漱石と寺田寅彦の関係がそうだった。
科学好きの文系種族の漱石と、俳句や文学に造詣の深かった理系種族の寅彦との交流は、それぞれの仕事に見事に息づいています。
本来、理系と文系を分ける必要はないんだけど、理系的思考の流れはあって、理系は意識的に適用する。
文系はそれを排除してしまう傾向があるから、初めは理系に進むにがいいかも知れません。
  (池内了)サンデー毎日 2005.3.6

筑波大学大学院の感性認知脳科学では、医学系と心理学系だけではなく、デザイン学までも巻き込んで研究を進めています。
デザイナー出身の山中敏正助教授は、2人の間に置かれたお茶が人間関係にどういう影響を及ぼすかという、いわば「茶飲み友達の『場』」というおもしろい研究をしています。
「足元に埋もれている宝も忘れてはならない」
寺田寅彦先生が80年近く前に言っていた「等身大の科学」は、これから増えていくのかもしれません。
       サンデー毎日 2005.3.6
寺田寅彦
http://www.minken.city.kochi.kochi.jp/terada.html

寺田寅彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/寺田寅彦
文系と理系の融合を試みた随筆
•『漫画と科学』
•『科学と文学』
•『西鶴と科学』
•『珈琲哲学序説』
•『神話と地球物理学』

寺田寅彦
出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
http://ja.wikiquote.org/wiki/寺田寅彦
出典の確かなもの
• われわれがもっている生理的の「時」の尺度は、その実は物の変化の「速度」の尺度である。万象が停止すれば時の経過は無意味である。「時」が問題になるところにはそこに変化が問題になる四元世界の一つの軸としてのみ時間は存在する。
    (「春六題」)
•ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。
    (「小爆発二件」)
•一見雑多な知識が実に不思議な程みんな後年の仕事に役に立った。それは動物や人間が丁度自分のからだに必要な栄養品やビタミンを無意識に食いたがるようなものではなかったかという気がするのである。
    (「科学に志す人へ」)

•「科学者とあたま」 (1933年)
•科学者になるには自然を恋人としなければならない。
自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。
科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。
偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。
•失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。
•頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。
それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。
科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。
しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。
芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。
そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。
理屈ではない。
そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう。これもわかりきったことのようであってしばしば忘られがちなことであり、そうして忘れてならないことの一つであろうと思われる。

寺田寅彦と現代/等身大の科学をもとめて
http://mmaehara.blog56.fc2.com/blog-entry-739.html
http://www.msz.co.jp/book/detail/07126.html
寺田寅彦と現代
書評:池内 了『寺田寅彦と現代?等身大の科学をもとめて』
http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/ikeuchi.htm
近年になりその手法と思想では説明できない種々の現象が登場し、それとは対極にある複雑系の科学やフラクタル理論(全体論的思想)が要請され、流行にさえなっている感がある。
科学研究の最前線は要素還元的な手法と思想のもとでは行き詰まり感があり、つぎつぎと「超」や「極」の接頭語をつけざるを得ない肥大化した事態になっている。
つまり、この思考をいくら推し進めたところで、とどのつまりは認識論的限界に陥り、人類の自然観を転換させるような発見は望めない状況にあるという。
こうしたどんづまりの閉塞状況をいかに乗り越え新たな道を切り開いていくかという問題意識から、著者は、物理学の先人のなした歴史的業績を真摯に学びそこからヒントを得ようとする。
いわゆる、著者が提唱する等身大の科学、新しい博物学、文理融合、複雑系の科学、フラクタル理論などを暗黙的に提唱した人物の業績である。
これらの種々の新たな科学の認識論的思考を希求する際、さきがけとなった人物がいた。
今年で没70年になる寺田寅彦(1878-1935)である。
寺田寅彦が生きた時代は、まさに先に述べた原子物理学の研究が花盛りのときであり、そのよってたつ思考態度は要素還元主義の思想であった。
寺田寅彦は流行する研究動向に反発するかのように、きわめて身近な自然現象を深く考察する研究態度をとったことはよく知られているが、本書は、寺田寅彦の科学的認識を現代の科学のなかに復権させようとする試み、そこから現代科学の困難性を打開しようともくろんでいる。


そんなことで、きょうは寺田寅彦と池内了の両氏をとりあげてみました。
by esnoopy | 2008-03-06 00:04 | 循環器科
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